2011年12月22日

はぐるま工房の農園とハーブ園を見に行く その4作物を見る〜万福寺人参、レモングラスティでゆったりとあったまる

一緒に、メンバーのうちの「リーダー」4人が、案内のために来てくれた。一応これも「療法」的なことであるらしい。
元気に伸びているのらぼう菜の畝で斉藤さんを先頭にリーダーが作物の説明をしてくれる。
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あやふやな部分も思い出せない部分もあるのだが、集中が途切れることもあるのだが、それでも受け取った「依頼」を自分の「務め」として、懸命に名前や作り方を紡ぎだすように言葉にしてくれた。

寒くなってさすがに露地では育ちの厳しいサニーレタス。
P1310256.JPG

もう十分育っている小松菜。
虫除けにネットをかぶっている。
P1310260.JPG

このあたりでは良く知られるという万福寺人参。
もともと滝野川人参(東京大長人参)と呼ばれる、長さ数十センチ〜1mにも及ぶ長大種である。
P1310257.JPG

このあたりでは昭和7年から栽培が始まり、第二次大戦中の中断を経て昭和20年代に名産品作りをめざして栽培が本格化した。長さ1mにも及ぶ作物のための土壌改良と品種改良の努力が続けられ、甘くて美味しくて巨大な「万福寺鮮紅大長人参」になった。昭和29年から5年連続して全国農林産物品評会で農林大臣賞を受賞し、その名声が知られ、このあたりの名産品となったものである。

(実は、わたしは、不勉強にして万福寺人参というものを知らなかった。以上は下記リンクからのウケウリ、である(^^ゞ 詳しくはこちら

無知なわたしのために、福田さんが貴重な万福寺人参を一本抜いてくれた。
P1310262.JPG

まだまだ短いな〜、こんなもんじゃないよね〜、品評会に出すときは倍以上あるんだけどね〜、といいながら写真に納まった。
いやいや、貴重な在来種伝統人参、ありがとうございますm(__)m

途中、収穫忘れの小さなサトイモを発見♪
斉藤さんは、気前良く「おみやげにどうぞ〜」とプレゼントしてくれた。おおらかなホスピタリティの人なのだ。
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食べてみて欲しいので、と残り少ない小松菜と春菊をわたしたちのためにみんなで抜いてくれた。重ねて感謝m(__)m

今冬一番の寒さの中、30分も畑にいて凍えたわたしたちは、口々に寒い寒いと意気地なくわななくようになり、這這の体(ほうほうのてい)で逃げるように工房へ戻った。

冷えた体を、たっぷりのフレッシュレモングラスのホットなホットお茶がまっていた♪
ありがたい心遣いだ。レモングラスは、無論、はぐるまハーブ園で作ったものだ。
ポットに、ぎっしりと詰まったレモングラス。たぶん乾燥して保存されていたのであろうかと思われるが、お湯の中で美しい緑に発色して香りを放っている。レモングラスだけこんなにたっぷりと使ったフレッシュハーブティは見たことが無い(@_@;)
P1310265.JPG
内心、もしかして味も香りもきついか、と案じたのだが(^^ゞ、湯飲みに注がれた液体を口に含むと、レモンのような香りは穏やかでゆったりと量感に満ちて広がり、味わいは落ち着きがあってしかもさわやかに軽やかに体の中に落ちてゆく。

この心尽くしを堪能したわたしたちは、レモングラスの香りにならって手足を遠くまで伸ばし、穏やかな心持に浸り、固まった寒さをゆっくりと幾度も幾度もほぐしていった。





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2011年12月17日

はぐるま工房の農園とハーブ園を見に行く その3 畑を見る〜手仕事の畑、「富士通」の堆肥〜市場社会から地域社社会への

挨拶を終えて、歩いて3分ほどの畑へ向かう。
畑は、広い片平の谷戸地形がもっとも山に迫り、平地がもはや山に変わるあたりにある。
福田さんが先導して畑へ向かう。山側から、低地へ向かって降りてゆくと、広い平地が現れ、畑が広がる。
P1310249.JPG
畑の手前に、作りかけの道路が途中で終わっている、というか始まっている、というか〜(@_@;)
都市計画道路の工事が始まり、畑の一部を横断して道路が作られているのだ。
今も、なお都市は膨張を続けているのだ。都市はここでも、今でも大地をの富を市場社会の富で作られたアスファルトで覆い隠そうとしているのだ。

300坪ほどのはぐるま工房の畑の全景。
都市計画道路に少し削られて、しまってその分狭くなってしまったらしい。
畝は短く切られて、たくさんの種類の作物が作られている。整然としていないといっても良い。
整然と一種の作物が並ぶ幾何学的な、商業化された「農業」の単品農業の畑とは明らかに違う、畑の風景。
P1310250.JPG

この、整然とはしていないしかしいかにも人間くさい畑には、自分たちの意思で、自分たちの技術で、手足で、工夫した道具で行う、いわば手仕事としての農の原点の風景があると感じられた。

     ※     ※      ※

わたしは畑を見ながら、今日の商業化および工業化された農と食を思った。
いまどき、手仕事で土を耕したりするような農地は、このシマグニでは市民農園とか家庭菜園でしか見ることは出来ない。

アメリカでは巨大食品企業によって、日本では主として「農協」や「スーパー」やその他の大口需要者によって、「農」の商業化・工業化がすすめられてきたし、今もすすめようとしている。(兼業の奨め的な志向もあるのではあるが)
そこでは栽培や飼育の品種も方法も、巨大企業や農協やスーパーが決めるものであって、農民は自分では決められない。そして指定された設備や農機や肥料や農薬や種苗や家畜の購入を強いられ、農民は、巨大な産業の末端下請けとして扱われる。すなわち自然との主体的自由な交流者ではなく、貨幣の奴隷、としか言いようの無いもの、である。
加工や食べ方も、保存・流通の都合に合わせて工業化されて、食は、農民にも生活者にも手の届かないところで「商品」と成り果てる。労働も、農も、食も人間から隔てられ疎外されている。もちろん、食の安心も安全もありはしない。

※この温暖湿潤なシマグニでは、長らく食の自給を旨として多品種栽培の農が営まれてきた。その延長線上に自給できぬものとの交換を行うことで、生活は保たれてきた。
※農が、自給のためのものではなく産業として利潤を上げる「農業」でなければならぬ、というのは1960年代以降の、日米安保と引き換えに食料自給を放棄した日本国政府・官僚の見解の中にしか存在しないし、そのようなおろかな農政指導者たちが強いた1960年代以降の近代化=農薬農業の中にしか存在しない。
(食料の自給手段を持たぬ都市住民が圧倒的に増えた今日では、その分商業的農業も増えなければならないけれども。一方また、都市住民が自力で、食べ物を作ることが出来るようにもしなければならないけれども、である)

     ※     ※     ※     

この、整然としていない人間くさい畑は、自然を相手にして生きる、自然の一部としての人間の姿を強く印象付ける。すなわち自然を自分の「非有機的身体(マルクス)」として生きる自然性としての農があると感じられた。
(45人ものメンバーと、スタッフの食を賄って、しかも外部との必要なもの、欲しいものとの交換分を生み出すには、はるかに規模も拡大し、効率化もそれなりに図らねばならないであろうけれども、ね(^^ゞ)

     ※     ※     ※

堆肥場である。川崎市内の富士通の事業所からでる食物残渣堆肥の提供を受けているのだという。
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〜この堆肥がくるようになって、ようやくちゃんと作物が出来るようになってきたんですよ〜と福田さんが言った。
農業経験も、もっと広げて園芸経験もなく、農園作りに取り組んだというはぐるま工房の畑は、当然にも幾多の困難があっただろう。きっとたくさんの失敗を重ね、作物を全滅させるようなことも幾たびもあったであろう。発芽にも、生育にも、結実結果にもたくさんの困難がある。作物が自然状態で生きてゆく困難は、人が生きてゆく困難と等価である。

はぐるま工房では、無農薬、無化学肥料での耕作を行っている。作物を健全に育てるには何よりも土作りが大事だ。良い土作りは虫対策や病気対策にもつながっていく。福岡正信氏のような不耕起自然農法でなければ、堆肥で土作りの一切を行わなければならない。
堆肥は何より大事なのである。
(わたしは、可能な土地では不耕起自然農法も拡大されていくべきだ、と思っているけれど)

市場社会による地域社会への支援とということにも感謝の気持ちとともに感興があるが、わたしはその事情をつまびらかにしないし、たくさんの前提条件について触れることにもなるので、ここでは、企業は市場社会(利益社会)において成立するけれども、地域社会(生活社会=ゲゼルシャフト)の一員でもあるということ、そしてくまなく市場化されてしまった今日の地域社会では、市場社会からの支援または貢献なしに「地域」を成立させることは困難だということを指摘するにとどめておきたい。
(川崎では世界的な大企業であるところの富士通やNECが食物残渣のリサイクルを通じて、地域の農に幾分か「貢献」している。成長期には産業資本は地域から土地と労働力を吸収してきたが、そのために消失した村も地域も「自然」も、けして少なくは無い。しかしながら現在では、この都市も飽和状況に近く市場も成長期から相対安定期=定常期に転換している。人間が自然のうちのものである限り、世界市場システムに生きる企業も地域と切り離して生きることはできない。企業はもっと地域と共生することを真剣に考えるべきである、と取り急ぎ書き留めておきたい)

※     ※     ※

手仕事の、畑を地域の一員としての(したがって自然の一員としての)世界的ハイテク企業が支援しているという巨大都市圏らしい現代的光景。
わたしは、「関係の絶対性」とつぶやいてみてすぐに大きくかぶりを振り、「関係の総体としての人間」と思ってみた。あるいは人間の直接的関係性のあらわれとしての地域、というようなことを。

     ※     ※     ※

社会福祉法人はぐるまの会 
 本部 川崎市多摩区菅馬場1−18−17 はぐるま共同作業所内
 設立 1983年4月
 施設
   利用定員
      生活介護       35名
      就労継続支援B型 10名

   生活介護事業
    @はぐるま共同作業所(主たる事業所)
     川崎市多摩区菅馬場1-18-17
     定員13名
     生産活動内容・・・海産物の仕入⇒仕分け⇒小売、縫製作業(かやふきん、エプロン等)
    Aはぐるま工房(従たる事業所)
     川崎市麻生区片平1848-5
     定員10名
     生産活動内容・・・農作業(野菜づくり)
    Bはぐるま菅工舎(従たる事業所)
     川崎市多摩区中野島3-23-28
     定員12名
     生産活動内容・・・縫製作業(かやふきん、ギャルソン風エプロン、タオルハンガー等)
   就労継続支援B型事業
    C第2はぐるま共同作業所
     川崎市多摩区西生田4-1-28-201
     定員10名
     生産活動内容・・・喫茶業務(特別養護老人ホームよみうりランド花ハウスの
     御協力により、1階喫茶室プラス・ド・フルールはぐるまを運営)
 
  問い合わせ
     はぐるま共同作業所、又は社会福祉法人はぐるまの会法人本部 
      (044-946-1308)
  参考URL
    


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2011年12月16日

はぐるま工房の農園とハーブ園を見に行く その2「からだ」と「こころ」〜「労働による発達理論」と「マラソン」

まずは工房で、メンバー・スタッフの皆さんとご挨拶。
工房には10人強が座れるスペース、その倍ほどもある作業スペース、とスタッフルームがある。スタッフルームは扉が無く、オープンだ。

10人のメンバーが一人ずつ、挨拶してくれた。全員が何らかの障害があり、発語困難な人もいたようだが、みな楽しげに懸命に挨拶してくれた。
カメラを向けると、もり上がる面々♪(右側が、オープンな作業スペースだ)
P1310247.JPG
メンバーはぐるまの会のケアホームで分かれて生活しながら、(出来る限り)自力で通って来るのだという。出席率はきわめて高い。

(はぐるまの会の「発達理論」と心身性についてちょっとだけ――体から、心へ、ということ)

はぐるま工房は、麻生区片平の山寄にあって、おそらくは最寄であろう五月台駅から1.2kmほど、柿生駅からは1.7kmほどになるのぼりの道のりを歩いてくるのだ。
そして、午前は体力づくりのために、全員がマラソンをする。多くのメンバーが3kmから5km走り、7kmほども走るメンバーもいる。
最初は抵抗して走ることを拒否することも、当然ながら間々あるらしい。人間は本質的に他から強いられることを拒否する「自分」らしさを持っているからである。
しかし指導に当たるスタッフは、けして安易な妥協はせず、あらん限りの手を尽くして何とか「走る」集団行動へ導くのだという。時には徹底して「対決」することもあるらしい。それは「失敗」ということがあってはならぬ、という点でも、全力で立ち向かうであろうメンバーに、やはり全力で立ち向かうことを強いられるという点でも、一回的で全人格的な緊張に満ちた「総力戦」ででもあるだろうか、と想像してみる。

はぐるまの会は、「労働による発達理論」を掲げて主として知的障害を持つ人の自立を支援してきた。詳細は別に譲るが、「労働」は身体性と関係性の結合を意味しており、いわばその前段的基礎付けとして、「走る」ことは身体の活動が精神の活性にも、形成にも及ぶ、というようなメルロ=ポンティ的心身論の実践であるだろう。

ここでは「走る」ことは、なによりも他者(他我)というものを受け入れる関係性の承認であり、それが「走る」という行動に結びつく心身的「構造」の獲得であり、「走る」という身体性の獲得であり、そのことにおいて精神(自我)は主体的に増幅され、身体を対象化してゆく、だろうか。
他我と自我、からだとこころは、それぞれ相互性として相即的に認識し形成する。身体は精神の単なる対象ではなく、他我は自我の単なる対象ではない。
ここにこころは「独我論」的迷路を抜け出してゆく契機がある、はずだ、と信ずる根拠がある。
「からだ」は、まことに「こころ」の一部、であり「こころ」の源ででありダイナモである。

それぞれの身体や知の「障害」というものは一見きわめて個体的な個人的なことのように見えるが、しかし、命あるものとしての人類が避けられない普遍的受苦性(原生的疎外)を、一個の普遍的個体として自ら背負うことによって、むしろ普遍的である、と思われる。(「障害」を社会がみずから受け入れ、支えてゆくのは、この人間の社会の「普遍的テーマ」である)

はぐるまの会の「労働による発達理論」と「体力強化のためのマラソン」は、障害当事者に対するケアの議論として、先駆的でありかつ実践的であったといえよう。(メルロ=ポンティの『行動の構造』の訳出刊行は1964年、日本語で書かれた本格的な心身論の嚆矢である市川浩の『精神としての身体』は1975年の刊行だ)
創始者たちの優れた先駆的な思想性が実践に結実しているのだ、と強く思う。

     ※     ※     ※

はぐるまの会渉外担当の福田さんが座を締める。
P1310248.JPG
福田さんは、どんなときにも満面の笑顔でメンバーに接する。時に言葉は厳しくならざるを得ないが、しかし口調はあくまで柔らかく、丁寧だ。
その笑顔には障害者支援にかかわる職業人としての深く刻まれた修練と、あるいは人間の本質的原生的疎外にかかわる一人の人としてのある種の謙虚と、加えて修練を超え出ようとするある種の普遍への精神性が含まれている、であろうか。


     ※     ※     ※

社会福祉法人はぐるまの会 
 本部 川崎市多摩区菅馬場1−18−17 はぐるま共同作業所内
 設立 1983年4月
 施設
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      就労継続支援B型 10名

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    @はぐるま共同作業所(主たる事業所)
     川崎市多摩区菅馬場1-18-17
     定員13名
     生産活動内容・・・海産物の仕入⇒仕分け⇒小売、縫製作業(かやふきん、エプロン等)
    Aはぐるま工房(従たる事業所)
     川崎市麻生区片平1848-5
     定員10名
     生産活動内容・・・農作業(野菜づくり)
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     川崎市多摩区中野島3-23-28
     定員12名
     生産活動内容・・・縫製作業(かやふきん、ギャルソン風エプロン、タオルハンガー等)
   就労継続支援B型事業
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     御協力により、1階喫茶室プラス・ド・フルールはぐるまを運営)
 
  問い合わせ
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はぐるま工房の農園とハーブ園を見に行く その1 「やわ」でないイーハトーブへの誘い

真冬の寒波がやってきた12月2日、社会福祉法人はぐるまの会の園芸療法と就労支援のための、農園とハーブ園を訪れた。
はぐるまの会は、川崎市立稲田中学校の教師であった故・高木計さんと岩田洋子さんが、1983年創始した。
「特殊学級」の担当教師として目覚しい成果を挙げていた両氏だが、生徒たちは卒業しても、十分な受け入れ場所が無くきびしい生活を強いられる。中には、中学校に戻ってきてしまう卒業生も少なくなかった。
そんな卒業生たちが介護を受けつつ「働きながら学べる」場所を作ろう、と「労働による発達理論」を掲げ「集団自立」をめざす「はぐるま協働学習塾」を立ち上げたのがはじめだ。
行政による支援もなく、またそのような制度すらない「長く苦しい」「無認可の時代」を経て、今日の「社会福井法人はぐるまの会」となった。(以上『創立25周年はぐるまだより記念号』による)
UXMF25_111208095545.jpg

今では、以下の4事業、14(+1)拠点で生活と労働の両面(の学習と自立)を支援している。
相談支援事業(はぐるま支援センター)
共同生活介護事業(ケアホーム10ヶ所に定員45人が生活する)
生活介護事業 はぐるま共同作業所 海産物の製品化作業や布製品の製造
       はぐるま工房 約300坪の農園と、別にハーブ園
       はぐるま管工舎 布製品
就労継続支援B型事業  第2はぐるま共同作業所 喫茶業務
詳しくはこちら

     ※     ※     ※

途中新百合ヶ丘でしょうが料理ランチを、と目論んだわたしたちは、諸事情あって約束の時間に少し遅れて片平のはぐるま工房の玄関に到着。(見事にウェイテイング続出の大繁盛状態にやられて、めざすしょうが料理に、フラレてしまい、昼食遭難一歩手前でかろうじて森さんの機敏な気配りで大急ぎで昼食を摂ってきたのだった(^^ゞ

正面がはぐるま工房。
作業所である母屋と、右手に倉庫がある。
P1310244.JPG

入り口の小さな看板がかわいらしい、が、21世紀風にかわいい、だけでは無論無い。
小さいが、手仕事でなくては生み出されない情感のようなものを湛えている、だろうか。
P1310264.JPG
このアメリカの郊外住宅の郵便けのような看板は、木製に塗装を施し、いくつもの動物のオブジェが飾られて、熟した楓の前にちょこんと、佇まいしている。まるでおとぎ話の世界のようだが、よく見ると、無骨な太い鉄パイプにしっかり据えられている。
この、些細なちぐはぐはしかし、大地と現実社会にしっかり根を張るイーハトーブ(理想郷)への、けして「やわ」ではない誘いのようにも、思われた。
ここから、大銀河へ出立するものが、幾たびも幾たびも力のかぎりをつくして飛翔するのだ、というように…。

     ※     ※     ※

社会福祉法人はぐるまの会 
 本部 川崎市多摩区菅馬場1−18−17 はぐるま共同作業所内
 設立 1983年4月
 施設
   利用定員
      生活介護       35名
      就労継続支援B型 10名

   生活介護事業
    @はぐるま共同作業所(主たる事業所)
     川崎市多摩区菅馬場1-18-17
     定員13名
     生産活動内容・・・海産物の仕入⇒仕分け⇒小売、縫製作業(かやふきん、エプロン等)
    Aはぐるま工房(従たる事業所)
     川崎市麻生区片平1848-5
     定員10名
     生産活動内容・・・農作業(野菜づくり)
    Bはぐるま菅工舎(従たる事業所)
     川崎市多摩区中野島3-23-28
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     川崎市多摩区西生田4-1-28-201
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     御協力により、1階喫茶室プラス・ド・フルールはぐるまを運営)
 
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2011年10月30日

10月17日18日結いの里交流その3 南魚沼から中魚沼へ魚沼の山越え〜この世のものとも思えない棚田から殺伐とした水害のつめ痕へ〜人間の自由と力と蕩尽について

腕行きがけの駄賃、ということで六日町・長森で、上質の蕎麦をたらふく堪能したわたしたちは、十日町へ向けて山越えをする。
何分、山中の宿泊所で、道もわかりにくく、暗くなっては迷うこともある、というので明るいうちに到着して場所を確認し、荷物を置いてまた出かけようというのである。

ところが、目的地である山中の宿泊所へ向かう道が2度にわたって通行止めになっていた。
7月と9月にやってきた水害のときの土砂崩れ、がけ崩れ、山崩れのためだ。
そのため塩沢方面まで戻り、大沢山トンネルを抜けてすぐに山道に入って塩ノ又温泉方面へ一山越える細い細い山岳道路を走ることになってしまった(^^ゞ
途中、もっとも山奥のあたりに日大レスリング部の道場があったりする。この世のものとも思えない立地だ。

大沢トンネルの入り口前でも、山あいの狭い田んぼに土砂が流入したままだった(ーー;)
途中の険しい山道でも何ヶ所か、被害のあとがあり、かろうじて交通が維持されていることがわかった。

急勾配の下りに入って、塩ノ又温泉のあたりで、渓谷に10坪とか20〜30坪ほどの棚田がぽつぽつと忘れられたように開かれていた。
この険しい山あいに田を切り拓くとは、どんな執着がそうさせたのだろう。
日大のレスリング部道場もそうだが、山あいの狭いわずかな土地にぽつんと切り拓かれた小さな田んぼも、この世のものとも思えない。昔語りや空想の中の出来事のように思える。
人間の力は空恐ろしい、と思えた。
その自信が、近代人間中心主義的科学主義を生み、所有の自由へと連なりついには市場原理主義にまで離床していってしまったか……。

あんまり感じ入ってしまって、写真を撮り忘れてしまった(^^ゞ

写真をと思いついて車を止めたが、このあたりはもう相当下ったところ。
傾斜が緩み緩やかな斜面に、1枚1反もないほどの田がそれでも段々に連なっている。
P1290998.JPG
中央、車の入った轍の後のある田は、土砂が流れ込んだあとがある。

足元には、きれいな湧き水の水利用水が流れていた。
これが魚沼だな〜、これが美味い米のもとだな〜、と大豆の大家の岡田さんが感に堪えないといった風情で口にした。
P1300001.JPG

山の日はもう暗くなりかけている。
所詮、人間の力で太陽をとめることは出来ぬ、が…。

言葉に出来ぬものを腹の底にためて、宿へ急いだ。

道々、たくさんの土砂災害のつめ痕が、それはたくさん、たくさん残されていた。道路の通行は確保されているが、道路に支障のない部分(田とか、宅地とか)はそのままのところも多い。
被害は、とても多く、かつ重かったのだ、ということを思い知らされ、なぜ修復されないままに残っているところがこんない多いのか、とふつふつと疑念が頭をもたげていた。

斜めになって倒れて、かろうじて持ちこたえている電柱。何とか役割は果たしている、ということでそのまま放置されているのだろうか(撮影は翌朝18日)。
周辺には、土砂とともに流れ込んだであろう瓦礫がそのまま取り残されている。
P1300050.JPG

土台から浮き上がり流されてきたままの住宅(撮影は同じく18日)。
この先の橋が流され、仮橋がかけられ、なお修復の工事中だ。橋の工事のため、周辺の瓦礫類は取り除かれたのであろう。
P1300052.JPG
この家は、解体しなければならないがそのためには瓦礫撤去とは別な技術や重機が、つまり貨幣が必要とされる…のであろう…。それゆえ放置されているのであろうか。伝来の共助共同体は機能していないのだ、と思われた。

雨は降るが、この雨には潤いもなければ温かみもない。
冷たくよそよそしい雨だ(おう、貨幣のように、市場原理のように冷たいよそよそしい雨だ)。
雨も、水害の被害の跡も殺伐としてなお刺々しく、いきり立っているように思えた。
自然は、慈母のふりをしてちっぽけな人間に生の営みを恵み、あるとき恐ろしい厳父のように破壊する。
のどの奥に突き刺さったなんともいえぬ砂のような味のものを、噛み締めてわたしたちは通り過ぎた。

     ※     ※     ※
     
わたしたちは、見学に行った道の駅の物産品をころころと買いもとめ、宿へ帰るとすぐに湯に入って体を温め、その夜はことさらにぎやかに痛飲して、倒れるように寝た。

     ※     ※     ※

わたしは、ジョルジュ・バタイユの『呪われた部分』を、「蕩尽」することなしに生きられない人間を、浅い夢見のように思い起こし闇の中に落ちた。


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2011年08月19日

結いの里 駆け足訪問記〜その1 南雲原の高原の林の中に広がる天空の「隠れ里」に根を下ろす根拠地

8月15日、敗戦の日、短い帰省から、Uターンラッシュの始まる前にと、駆け足で十日町の結いの里を訪れた。
結いの里HPはこちら

8月7日猛暑のトマトフェアで、結いの里を切り盛りする臼井隆さんとすれ違うように出会い、訪問の希望をつたえていた。臼井さんは、周囲にさわさわと微風を作り出すように軽やかに立っている人だ、あるいはそのように歩く人だ。
18年前から「都市と農村を結ぶふれ愛の場」に、と「お米の学校」を始めた。今も月の半分ほどは首都圏の学校(小学校など)を回って、一粒の種もみから育ついのちと、風土と文化とそこに生きる人間の姿について語って止まない。

そして臼井さんは、直前になって急に訪問したいと申し出たわたしを、仕事の手を止めて、快く迎えてくれた。やはり臼井さんの周りにはさわさわと風が動き出すようにしていた。

     ※     ※     ※

十日町から、R117を少し(数キロ)進んで、平地から100mほど高い南雲原の台地へ向かう道に入る。
山道に差し掛かると、7月30日の記録的豪雨で、土砂が崩れたあとが、たくさんある。
P1280177.JPG

南雲原への急峻な坂を上ってから、山林の中を走る。
本当に、ここに農地が広がっているのだろうか、と少し心配になるころ、不意に目前の視界が開ける。
P1280208.JPG
林に囲まれて、ここだけぽっかりと平野のような、ここが、結いの里だ。林にぶつかるところまで、目に見える範囲およそ10数haに及ぶ水田と畑地が広がっている。

振り向くと、背後はこんな風だ。
P1280209.JPG

もう少し進むと、平地の中央部分に結いの里の大きな看板が立ち、向こう側の端が見える。
やはり道路の先は林で閉ざされている。
P1280204.JPG

ここは十日町の盆地から一段高く、周囲を急峻な坂に守られ、また大きな杉木立に囲まれ、外からはまったく様子が見えない、隠れ里なのだ。

ここで行われる「農」は平地の市場社会に翻弄される(たとえばわが、新潟・蒲原の稲作単作機械化モデル水田農業地帯のような)通俗的な市場的な「農業」ではない。
「第1次産業」の近代化などとおだてられて、アメリカ製農薬と米の単作を押し付けられ、からだも心も痛んで農のよりどころもなくした、「近代農民」が市場システムに抗して、市場システムの外部にひっそりと根を下ろす根拠地の、根深い生存のあり方としての「農」でなければならぬ…などと思った。

わたしは毛沢東を思い、谷川雁を思った。
谷川雁の「毛沢東」という美しい詩を思った。

  いなずまが愛している丘
  夜明けのかめに

  あおじろい水をくむ
  そのかおは岩石のようだ

  かれの背になだれているもの
  死刑場の雪の美しさ

  〜(略)〜
  
※わたしは毛沢東を思想的にそう評価しているわけでも、もちろん信奉しているわけでもないが、谷川雁のエロティックな言葉の力を愛している、かも、しれない。

■有限会社 結い
〒949-8554 新潟県十日町市伊達丙1626-2
電話:025-750-2443
FAX:025-750-2466
E-mail:nagumoyui@jeans.ocn.ne.jp
hp:http://www.nagumoyui.com/index.php
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2011年02月10日

EM窪平〜自然循環農法で谷底の荒地を拓く 食と人間の「自然性」へ

2月8日、町田・鶴川の生ゴミリサイクルで市民農園を行う「EM窪平くぼだいら)」主催の「大地といのちの会」吉田俊道代表の講演会へいった。

講演は内容豊富で、感銘深いものだった。その内容は多岐に渡りとても短くかけないので後日に譲る。

まずは「EM窪平」の農園を見学。
鶴川駅から3kmほど、町並みも途切れたあたりに車を止め、杉木立のなかの急峻な坂、というよりほぼ崖のうえ、断崖のうえから農園は見えた。

最初に「開墾」した第1農園である。
現在は、10人(だったと思う(^^ゞ)で分割して耕しているという。

西崎さんは「谷戸」といっていたが、それにしても明らかに、これは盆地の谷底である。
谷戸地形では、多く三方を山地に囲まれても一方向はひらけ、集まった水の出口があるのだが、ここは出口を山地が塞いでいる。水はどこか見えないような隘路を通るか、暗渠となって流れていくのであろうか。
したがって農園へ行くには、写真のような急傾斜の階段道を降りていかねばならないのだ。
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一人分ずつきれいに区画され、それぞれに竹で作った堆肥場がついている(@_@;)
指針の左側に隣接する竹林を管理する担当グループもあって、竹細工は得意技だ。

右が第1農園担当の宮間さん、左が第2農園担当の西崎さん(たぶん)(^^ゞ。
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手作り、竹製竹炭焼き釜(@_@;)
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一人に一つ、竹製堆肥場があり、今は発酵の真っ最中。
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2011年01月30日

宮前クリーン農業研究会織茂さんの畑へ5 工業化社会=市場化社会の残留毒素の危機~ 強い死なない人へ

見学終了後、母屋玄関脇の茶の間に上がりこんでしばし農業&EM談義。

野菜類は直売でほぼ9割方を売ると言う。地域の購買者に支持されているのだ。
しかし、兼業ですよ、と言う。
兼業からの収入と、農業からの収入はほぼ同額程度。兼業無しに、この地の1haの自然農法は成り立たない。
何たることか。

はじめてから18年。現在ではEM自然農法も安定してきている。しかし、途中には「危機」もあったという。
はじめて2〜3年目は順調だったが、そのあと試練がやってきた。
病気にかかる作物が出て、病害虫も多かった。
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それはたやすいものではなく、だんだんひどくなり5年目にピークを迎えた。

ただでさえ辛い時期に、同時に、織茂さん自身にも身体的な障害が発生した。
症状は多岐にわたり、農作業にも支障が出た。これという決まった症状ではないが、免疫力が衰え、いろんな症状が出たと言う。
多くの病院をたずねたが原因ははっきり分からず、したがって病名もはっきりしない。したがって治療法はなく快癒するべくもない。(近代医学というものは、対症療法に進歩を遂げたが、基底的なもの、根底的なものについては蒙昧なものである)

思い悩み苦しんだ末、このままでは死んでしまうのではないかとまで危機感を持った織茂さんは、自律神経免疫療法と言う、新潟大学の安保徹が提唱した療法で、自律神経系の回復を試み、快癒したのだと言う。
自律神経免疫療法は、基礎研究から導かれた仮説理論である。医学界においては、臨床的実証を経ていないとして、民間療法と言われ蔑まれているといっていい療法である。しかし、織茂さんは、快癒した。

畑も5年目をピークに回復し始め、10年目からは安定しているという。
今では、30mもある畝にバケツ一杯ほどのEM肥料で作物が元気に育つようになったと言う。

きっと、EMで自然農法に帰ろうとしたから、逆に残留毒素が一気に出てくるんだね、などと一応分かった風な理屈をとってつけてみんな黙ってしまった。

さりげない話しの、中身の深刻さに、それ以上の質問をすることはなんだか憚られた。
が、1960年代からはじまった、アメリカ主導の「農」の効率化、「工業化」政策のつけは重い、のだと思われてならなかった。

ベトナムにおけるダイオキシン入り枯葉剤は300万人の身体異常を引き起こした。当事者世代はむろん、その子ども世代にはもっと深刻な身体欠損や結合などの発生障害をもたらした。
枯葉剤は農薬・種苗メーカーの米モンサント社が作った。
基本的に農業に使われる除草剤と変わらない。
日本における1960〜70年代の、アメリカ主導による安保と引き換えの食糧自給停止と農の「農業化=工業化」は、大量の化学農薬・化学肥料の使用が増産につながるとして「科学的」な農業を強いた。農村に封建的権威の崩壊と同時に、多数の拝金主義と発がん物質・催奇性物質をばら撒いた。農家にはたくさんの病変者や死者が出た。
その結果、今日まで残留し、あるいはますます堆積する有害物質が、増加する「成人病」や「難病」の相当部分を引き起こす要因に連なり、土地をやせさせ、野菜の栄養価を減少させている。
今日では、科学農法〜工業的農業はある程度の効率化には貢献しても、莫大なコストを要し、たいした増産にもつながらず、その安全性安定性は自然農法に及ばないのではないか、と思量される。
「戦争機械」であるところの「国家」の下請けと化した行政にも農政にもちろん「農」の視点のあろうはずはなかった。それは今も続いているといってよいのではないだろうか。

そんな事例は全世界に、普通にあるといっても過言ではなかろう。つまり、それが「現代」という時代である。

     ※     ※     ※

わたしも、機械化農業のモデル地域たる新潟・蒲原で猛毒殺虫剤・農薬パラチオンのヘリコプター散布の飛まつを浴びて育った。用水には魚が白い腹を見せて浮かんでいた。父は55歳くらいでがんを発病し60歳で死んだ。わたしも、そろそろがんになっておかしくはない。いや、なるに違いない、と思っている。

     ※     ※     ※

織茂さんに、Uzumakiファームの自然農法化に協力を頼み、料理教室や野菜市にも作物を提供してもらうことを約して、辞した。

母屋の軒先に、織茂さんの母上が「趣味でする」という日干しのブロッコリーが干してあった。
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わたしもこのブロッコリーのようにからだも心も日干しになって、余分なものを日に晒してしまうことができたら、と思ってみて、ふと自分の愚かさに笑った。
心もからだも、自分で扱わねばならぬ。
あたりまえではないか。

現代は「市場」と言う原理によって構築された「システム社会」であるように見える。事実は自然という土台に「幻想」を少しだけ上塗りしているのに過ぎないとしても…。
「幻想」でしかないシステムに「自主的」に拝跪して、「神」として崇めるものたち、とはわたしたち人間のこと、である。
「神」たる権威を前に一個の赤裸々な個人として裸にされながら生きねばならぬもの、人間。
動物でありながら精神をもつもの、自然のうちにありながら、自然から独立した主人であるかのように振舞うもの、人間。
生存のため協働して構築したはずののシステムによって、逆に自ら身体も精神も損壊される奇怪なもの、すなわち人間、である。
生存のために他の生命を縦横に踏みにじりながら、自分だけは踏みにじられることを拒絶するもの…。

市場社会=国民国家=戦争機械の時代は本質的には終焉したが、現在はなおその残滓が世界を実効的に支配しているように見える。あるいは終焉すべき理論的帰結は明らかだが、人間はそれを「終焉」させたくないと願う生き物でも、あるのかもしれない。

強い死なない人になるのだ、と思った頃を、おもった。


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2011年01月28日

宮前クリーン農業研究会織茂さんの畑へ その4畑めぐり2 驚きのEM農法ほうれん草の爽やかさ

さわやかな爽やかなEM農法ほうれん草

南側へ戻る。
西側には3棟の大きなハウスが並ぶ。
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一番西の端のほうれん草のハウス。
入った瞬間に、普通よりはるかに背の高いほうれん草に圧倒される。
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直売所で1把100円で売られる、草丈40〜50cmにもなる巨大なほうれん草が密生している。
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大きくなるのは、土の力もあるが、ハウスの中だから、とのこと。

直売所で売っているのはこんな感じ。
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見るからに草勢強く、丈高く、力強い。
が、葉にさわってみると、驚くほど柔らかい。少しちぎって食べてみる。
葉肉は厚いが抵抗なくふわふわと溶けるようだ。あっさりさわやかな味わい。ほうれん草特有の野菜臭さもあくもほぼ感じない(@_@;)
外形から考えるに野菜くささに満ちた野性味溢れる味の濃いものを想定していたのだ。
これが本来の味か(ほうれん草は今日では西洋種と日本種の交雑種が普通)。
(なるほど、残留農薬は渋みになり、残留化学肥料が苦味になると書いてあったのは、こんなことか)
目からウロコ、の爽やかな、爽やかなほうれん草だ。

EM農法

織茂さんは、ほうれん草作りに自信を持っていて、作付け面積も多い。
EM農法の成果、と言うものであろう。
今では、土壌改良が進み一畝にバケツ一杯ほどの肥料しか使わない、という。驚きである(@_@;)

自然農法とは、「自然全部」をありのままの状態に戻すことではない。したがって、作物も野生状態を良しとするわけではない。
作物はあくまで食物であるから、栽培しやすく、収量多く、形もなるべくよく、味わいよくあるべきである。
ただ、栽培において、化学農薬・化学肥料を排除して、有機農薬・有機肥料を用い、環境ホルモン・残留農薬・残留化学肥料などを減らしまたはなくし、かつ、作物のもつ力を強めて、味良く耐病性つよい丈夫な作物を育て、同時に病害虫の発生も減らすもの、である。
作業の困難や収穫リスクがあまり大きくない程度に、と言う注釈はつけねばならないか。

EMと一般に呼ばれるものは、ウィキペデイアによると、「1982年に琉球大学農学部教授比嘉照夫氏が、農業分野での土壌改良用として開発した微生物資材の名称。乳酸菌、酵母、光合成細菌を主体とする有用な微生物の共生体で、農業、畜産、水産、環境浄化、土木建築など様々な分野に利用されている。Effective Microorganismsとは「共存共栄する有用な微生物の集まり」の意味の造語。通称 EM菌。」である。
つまり自然界に存在するさまざまな微生物のうち、農業における土壌改良を念頭に、有用な微生物を集合させ共生させたものである。

EM農法とは(EM自然農法とも言ったりする)、今日では界M研究所の販売するEM-1などの有用微生物共生体を用いて、土壌改良して土中微生物の活動を活発させて地力を強化して行う農法である。また同じく生ゴミなど有機物を高効率で発酵させてボカシ肥料や堆肥を作り、これらを地力の助けとして投与する農法である。
したがって広義の自然農法の一部であり、「自然農法」として低コストであること、収量の増加や株の強化による品質改善や味の改善が期待できること、したがって「自然農法」としてリスクが少なく技術的にも取り組みやすいことなどの特徴が認められる。また当然ながらゴミの減量、土壌中の有害物質除去=環境改善に役立つこと、は顕著な特質である。

もう一つのハウスにはまだ若いほうれん草が植えられていた。
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まだまだ当分、織茂さんの、爽やかなほうれん草を楽しめるわけだ(^_^)v

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宮前クリーン農業研究会織茂さんの畑へ その3〜直売が育む市場社会の外部の食のコミュニティ・畑めぐり

ぼかし作り
道路を挟んで自宅向かいの畑の中にあるぼかし肥料の置き場。
ほぼ完璧に乾燥され、ぱらぱらの状態で袋詰めになって届く、NECの社員食堂から提供される乾燥生ごみ。
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こちらは、乾燥生ごみを使ったEMぼかし製造用の容器。10個以上並んでいる。
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生ごみに米ぬかを加え、カニがらなどを加えて、EM液(有用微生物:乳酸菌・酵母など)で発酵させる。

畑めぐり南側平地の東・直売ならではの多品種少量生産
自宅前の畑。織茂さんの畑は自宅を取り囲むように拡がり、大きく山側(北側)の斜面の畑と南側の平地にわけられる。山側も南側もそれぞれ東・中・西の三つに分けられる。つまり計6つである。合計して1haほどになる勘定だ。
ここは、平地の東、に当たる。
ねぎやソラマメや大根や玉葱が、畝ごとに細かく分けて植えられている。
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効率の良い「農業」ならできるだけ品種を絞って、作付けする。作業の効率が大きく違うからである。トマト農家や水菜農家などというものがある。彼らは、ビニールハウスに多額の投資をして、商品価値の高い(つまり交換価値=価格の高い)作物だけを作ってより良い現金収入を得ようとする。
「農業者」である。
作物はすべてが貨幣によって評価される。貨幣によってのみ、である。
栄養価も味も、残留農薬も、残留化学肥料も問われない。
市場社会の中に農を組み込むのは根本的に間違っているような気がしてならない。

直売の延長線上に「直接取引」の食のコミュニティが作られる、ということ

古来、自生してきた「農」のあり方では、自給を旨とし、多品種を植えつける。
当然作物の知見も、土壌や季節の運行についての知見も増える。
その延長としての「直売所」販売においても、自分で食べることを前提にするから、安心や安全や味わいや、家族の健康や…を考えざるを得ない。また買い手側からの批評や作物の要望を直接に受け取り、生産に反映しうる。本格的な食の洋風化・アジア化を反映してますます多品種になる。
一方買い手の側も、生産者=農家と直接に会話し、畑や農法を見、して作物を吟味しうる。
互いを知ることが、信頼というものであるならば、信頼の上に築かれる関係性を人間的「交通」と呼び得るであろうか。
自給農園の延長上に形成される「直接取引」の範囲に人と人との、信頼関係を基礎とした食のコミュニティが形成されるといってよいであろうか。

     ※     ※     ※

畝の真ん中にこんな木札が立てられている。
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堆肥をやった日付と、量の目安土の固さがかかれているのだ。

畑めぐり北の山側
山側の畑・東側。
右端に長い長い畝を作って、3畝ににんじんが植えられている。
残り2畝半、まだだいぶ食べられる♪
その右奥に残り少なくなった最終期の白菜が、5〜60株くらいある、かな。
全部で25aほどのこの畑でも10種類以上の多種の野菜が作られている。
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畑の北側は小高い小山になり、防風のために木々が残される。
畑は丘に囲まれた南側斜面に広がる。冬の季節風を防ぎ、凍結を防ぎながら、通風・日当たりよく畑作に適する関東南部・武蔵野台地南端部の典型的な谷戸地形だ。
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奥の茂みの辺りには湧水があり、用水として平地まで引いて、野菜洗いなどに使われる。
(この茂み辺りにはマムシが住むという伝説?があり、人々は、とくに子供は近づかないのだという。なかなかウフフな伝説だ)

山側の畑・中央。手が回らず、栗林にしているのだという。
川崎横浜では、「手が回らない」という理由で果樹地になったり、耕作放棄されている農地が目立つ。とくにこのところは農協が畑作から果樹への転換を奨めているらしい。「農地」(神奈川県では「生産緑地」などと意味不明な名称で呼ぶ)として認定され課税が優遇され、補助金さえ給付されることもある。
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農だけでは生計の立てにくい今日の市場社会にあってみれば、農家の側から見れば、もっともなことではあろうか。
しかし、食の自給がもっとも必要な東京首都圏エリアなのだ、と考えてみれば、畑作の持続と農地の維持のためにもっと、はるかにかけ離れて真剣な努力がされるべきではないか、と思ってしまう。(もちろん果樹でも結構なのではあろうが)

山側と平地とを分ける切通の道。
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昔は、歩くだけの村道だったが、今は車のぬけ道として使われ結構交通量があるという。見た目はいかにも田舎然としているが、実は安閑としていられないのである。

山側の西側はやはり手が回らず、今はなんだったか雑草よけのものを植えているという。
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ほぼ一人分の労力でこの畑を全部やりきるのは確かにかなりの困難かもしれない。が、なんとはなく、すっきりしないわたしなのではあった(^^ゞ






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宮前クリーン農業研究会織茂さんの畑へ その2 直売所からのメッセージ〜「人は自然によって生かされている」〜「農」は公共のもの、社会のもの・破格の格安直売価格

織茂さんの直売所の中に、よく見るといくつか張り紙がある。
左奥のほうに2枚並べて、細かい文字のものが張ってある。
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すでに、結構古びて、文字も小さく読みづらい(-_-;)

しかし、書かれてあることはとても大事なことだった。

1枚目「お客様へ」と題するメッセージ。
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読みづらいので、一部再録する。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

お客様へ

いつもありがとうございます。
当農園では「人は自然によって生かされている」ということに気が付き平成6年より環境への負荷を減らして、安全で美味しい野菜の生産に取り組んでいます。
農法の説明
農薬:年間約20種類を生産していますが2~3種類生育初期に1度散布するところまで減らしています。
化学肥料:平成10年からいっさい使用していません。
使っている肥料:NEC玉川事業場から出る生ゴミ、米ぬか、カニガラ、コーヒー粕、茶がら、これをEM(乳酸菌・酵母)で発酵させた肥料
病害虫対策:作物を丈夫に作る。主に予防として食酢、木酢液、唐辛子、にんにく、を使っています。それでもやむをえない場合、上記のように農薬を使っています。
―以下略―

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「病害虫対策:作物を丈夫に作る」と簡潔に言うあたりが、この人らしく直截で真摯な表現でありながらどことなくユーモアを感じさせる(^^ゞ
「作物を丈夫に作る」ことは、書くことはたやすいが行うには幾多の困難を伴う。その困難を回避しない人格の潔さや、表に表れない苦労の多さが偲ばれる。

「完全無農薬」ではないことを明示しているが、その内容は収穫一週間前だけ散布をやめる「減農薬」や、多くは2~3度は強力な殺虫剤を散布する「低農薬」と比べても相当に少なくほぼ完全無農薬に近い。「完全無農薬」でいられないところに、今日の人間社会の軋みの根深さがあるだろうか。

続いて2枚目。「お客様に読んでいただきたいこと」と題され、少し詳しく農薬の問題や、農法のことを説明している。
こちらは少し字数が多い。文字がにじんで、かなり読みづらい。
(織茂さ〜ん、ちょっと、読みやすくしてよ〜、とお願いしておこうm(__)m)
P1220985.JPG
同じく、一部再録しておこう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

お客様に読んでいただきたいこと

農薬
最近の農薬は、害虫や病原菌を殺す力は数日で消え、分解していきますが、その分解した農薬が、環境ホルモンとしに変化して残留してしまうのです。残留農薬の多い野菜を食べると渋みとして感じられます。

化学肥料
化学肥料は作物中に残留しやすく、体内に入ると発ガン性物質に変化したり、血液に作用して酸素を運ぶ能力を低下させます。化学肥料を使った野菜の色は、つやのない緑色が濃くなり、食べると苦味として感じられます。ただし有機質肥料であっても必要以上に使うと同じような現象が見られます。
化学肥料や農薬は、土壌中から雨によって川や地下水に溶け込み、最終的には海を汚染し魚介類の体内に蓄積され、それを人間が食べるという悪循環になってしまっているのです。
また化学肥料を使うと明らかに病害虫が増えてしまいます。


作物の生育にじゃまにならない程度に草を残し、害虫の天敵を増やすようにしています。

土壌の鎮圧
少し固めの土では、根をがんばって伸ばそうとするので、丈夫な作物ができ、病害虫に対して強くなり、味もよくなります。

微生物
―略―
(土の中は、おなかの中と同じで微生物の天下だ、言うこと)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

織茂さんが、自分の肉声で書いたメッセージ。
人類の母体とも言うべき大地に手を掛け、自然と付き合って、食を生み出し、価値を生み出す「農」は、すべての人間になくてはならないもの、であり、普遍的なもの、である。

農は公共をになう、と言うことの自覚と責任は、市場社会における「冒険」のためにあるのではなく、市場社会の外に人間の生きる根拠地を作るためにある、と思われる。

     ※     ※     ※

破格の格安価格

中をのぞいてみる。10種ほどの野菜が箱に入れられ、なくなると追加される。
自宅ならでは、だ。
直売野菜は、市価最安値とほぼ同等。
ほぼ完全無農薬、EM有機自然農法で作られた野菜であることを考えれば、むしろとても安い。
巨大な、巨大な、元気なほうれん草1把100円。大玉の白菜200円、大根はどんなに大きくても100円なんである(@_@;)
格安、破格といわねばならない。
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ねぎは200円、サトイモは200円である。
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ここには、地域に根ざし、地域と共生しようとする意思があり、食を媒介にしたコミュニテイの兆しがあるのではないか、と思われた。まことに、市場社会の慮外に農は営まれる、のである。
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2011年01月23日

宮前クリーン農業研究会織茂さんの畑へ その1〜自然農法は世界を救うか〜自然農法・直売・コミュニティ

宮前区の織茂耕治さんは、たぶん川崎では唯一の(と思う)EMによる自然農法グループ「宮前クリーン農業研究会」の代表で、自身は1haほどの畑を営む農家だ。

(「農」と「農家」と言うことばについて
農業者=農家と小規模農業法人、などというが、「農」に産業を意味する「業」をつけたのは宮崎安定の「農業全書」あたりが初めなのであろうか。審らかにしないが、「商業」「工業」という言い方同様に市場社会の商業的な農のあり方、または国家経済上の産業分類をさすニュアンスが感じられるような気がする。「農」と「農家」でいいではないか、と思う。ちなみに農協は「農業協同組合」で戦後のつくりもの、伝統的な農村の共助組織は今でも「農家組合」である)

去る17日に、EM(Effective Microorganisms=有用微生物群)技術の情報発信をするWeb Ecopure(ウェブ・エコピュア)編集担当の鹿島お願いして、EM技術で自然農法を営む織茂さんをご紹介いただいた。(すでに古い話しになりつつあるが、忘れないうちに書き留めておこう.
ちなみに一緒に行ったチャップリンおばさんはとっくにこちらで記事にしている(^^ゞ)

EMとは、乳酸菌、酵母、光合成細菌を主体とし、安全で有用な微生物を共生させた多目的微生物資材、およびその応用技術のことだが、自然界に存在するものだけを使った環境改善法として注目に値するだろう。農における土壌改良からはじまったEM技術の実用は環境汚染対策や化粧品・健康食品・家庭洗剤などにおよんでいる。詳細はこちら

鹿島祐子さんは、川崎市中原区に居住し夫君とともにレストラン「多羅葉樹」を営みながら、EM技術の情報発信ウェブサイト「Web Ecopure(ウェブ・エコピュア)」の編集に従事している、EMの「申し子」みたいな専門家である。

織茂さんは、夫妻で出迎えてくれた♪
夫人は照れながら写真に納まった。含羞の人、である。
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農場めぐりの最初は、コーヒー豆かすの堆肥である。もちろんEM液を使って発酵させている。自宅敷地内、というか玄関前にあって、いかにも大切にされている感じがする。
もう一年ほどたって、ちゃんと完熟状態の堆肥になっている。
匂いをかぐと、ほのかにコーヒーの匂いがした。コーヒー滓は産業廃棄物会社から買っているのだという。
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EM自然農法との出会い〜「味が良くなった」の感動

そもそも織茂さんとEM農法の出会いは今から18年ほど前、1993年頃だという。まださして知られてはいないEM技術を知り、半信半疑で実験してみたという。
その実験方法が、またきちんとしていて、10aずつ3つの畑に1EMボカシのみ100kg、2発酵牛ふん堆肥1トン(!)とEMボカシ100kg、3牛ふん堆肥1トン+配合肥料200kgを分けて施肥して生育を比べて見た。結果は歴然で、EMボカシのみの畑の作物が「収量、品質共に良く、病害虫の発生も一番遅くなりました」という。また、お客様からも、「味が良くなった」と何度もほめられて、意を強くして本格的にEMによる自然農法を導入したのだという。
いわば、確かな味を知る顧客、そしてそのことを伝ええてくれる顧客とのコミュニケーションの感動=関係性の存在が自然農法を後押しした。このとき織茂さんは、本来あるべき人間的労働の何ほどか、を実現していたであろう。

(詳細は鹿島さん編集のEM情報サイトエコピュアに詳しい)

「直売」の大切さ〜市場の外に緩やかなコミュニティを作る

自宅脇の「直売所」。このあたりの農家にはよくある風景だ。
都市農家だからこそできる特権でもある、と新潟に育ったわたしは思う。(もっとも、今は田舎でも車移動が可能なので、蔬菜・果樹地域には農家の直売所はたくさんある)
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生産農家が自分で売る、と言うことはいろんな意味をもつ。
それは買い手との出会いにおいて、市場システムを排除するということである。したがってそこでは農家の意思で値付けがされる。そこでは市場システムに自ら進んで労働力を細切れにするように売り払う必要がない。
(それは流通業従事者の多くが、生産過程(における価値形成)に参加していないために、自らは関与しない「価格」と「売り上げ」のために労働を時間単位で切り売りする事態と比べれば明瞭だろう)
豊作でも不作でも、自分の「労働」と自然の力が生み出した価値を、一応価格として表示することができる。「神の手(アダム・スミス)」は原理的には不要となる。(現実にはもちろん市場価格を考慮して個々の農家が値付けをするわけであるが)

(農協直売所などへの委託でなく)自分でする直売は、また買い手=ここでは消費者とのコミュニティ形成にもつながる。自分で売り場を作り、売り物を並べ、値付けをして表示する。買い手が持ち帰るための袋なども配慮が必要だ。その分、手間がかかるわけではあり、農作業の時間を優先するため無人販売としているところが多い。しかしそれでも織茂さんのように、売れ行きや買い手の反応ををじかに受けとることで、より良い野菜生産への動機付けとしている。買い手と織茂さんの関係は固定的な契約関係にあるわけではなく、食を媒介とした緩やかな共生関係である。

そこには自由意思もあり、相互の信頼関係もある。共通の価値観はもちろんあるが、それは、生産に還元され、自然性のうちに循環する。すなわちカントや、ジグムント・バウマンいうところの「美的共同体」とは一線を画しているもののように思われる。

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2010年11月08日

11月7日三崎の畑訪問記その3 市場社会の機微、新顔・希少野菜A〜あやめ雪・津田蕪・日野菜蕪・5色のラデイッシュ・紅芯大根・小桜大根

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今年のスター、あやめ雪(あやめ蕪)。
美しいあやめの紫を帯びて、くせがなく、甘やかで、生でも、加熱しても美味しい。
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島根の固有種、津田蕪。
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滋賀に自生する特産、日野菜蕪。
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5色の二十日大根(ラデイッシュ)。
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中身が鮮やかに赤い紅芯大根。
生食向き。
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12時近くになっていったん八百辰へ帰ると、原さんが奥から、小桜大根があるよ〜、と奥からもって来た。
美しいピンク色の巨大な大根が小桜大根だ。
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一足先に帰る島村さんを送って、みんなで記念撮影。
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     ※     ※     ※

八百辰のHPは
http://www.yaotatsu.co.jp/
焼とり・鶏料理纜(ともづな)の情報は
http://r.tabelog.com/kanagawa/A1402/A140205/14000610/
牛タン・金べ衛(きんべえ)の情報は
http://r.gnavi.co.jp/gacj300/
チャップリンおばさんのHPは
http://homepage2.nifty.com/t-catsup/
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11月7日三崎の畑訪問記その2 市場社会の機微、新顔・希少野菜〜ケール・プチヴェール・コールラビ・黒長大根・四角豆・中まで白い在来白菜

いよいよ畑へ。

まずはケール。
不結球性のちりめんキャベツ。
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プチヴェール。
ケールと芽キャベツの交配から生まれた不結球性の芽キャベツ。
葉のつけ根のところに、もう少しすると結球しない芽キャベツができてくる。
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ユニークなカタチのコールラビ。
キャベツと蕪の交配種。
ドイツ語でコールはキャベツ、ラビは蕪だ。
カタチは蕪が近い?が味はキャベツが近い?とのこと。
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黒長大根。
外は黒く鰐皮みたいな模様がびっしりと覆っているが、中身は真っ白。
水分多く、生で食べるのが良いか。
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四角豆。
生でも食べられる。
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わさび菜。
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在来種の白菜。
ここ2~3年中身の黄色い白菜が増えてきたために、「新たにはじめた」「黄色い白菜」が、競争力を失いつつあると言う。そのため逆に在来の中まで真っ白い白菜にトライしている。
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自立する畑作農業の機微は、市場社会の機微、でもある。
こういう考え方も、もちろん、ありうるのだ。

そしてこの「市場」は世界市場とは、別なところに存在し、仮に農産物の輸入が100%自由化されても(あまり)影響を受けないであろう、という点に独自性があり、自立の根拠がある、と思う。

     ※     ※     ※

原さん愛用の「畑号」に大人5人で乗り込んで、狭い道をどんどん移動。
ちょっと走っては原さんが説明してくれる。
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種類が増えるにしたがって、ちょっとずつの試食に次第に腹も膨れ、頭もいっぱいになってくる(-_-;)
それは、つねに「差別化」された新しい「交換価値」を求めて、休むことなく走り続けなければならない市場社会の運命にも肖ている、だろうか。


     ※     ※     ※

八百辰のHPはhttp://www.yaotatsu.co.jp/
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11月7日三崎の畑訪問記その1 朝採り野菜の八百辰〜市場に堪えうる農業とは・嘉山さんのしいたけ

昨日11月7日、久しぶりに三崎の畑を訪ねた。
前回は2009年6月だから概ね1年5ヶ月ぶりになる。

8時半ごろ横浜駅を出発して、APECの厳戒態勢の中9時半には、三崎の油壷入口交差点に立つ八百辰に到着。
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八百辰は、三崎の農家多数(以前80軒と聞いたことがある)と契約栽培して(基本的に全量買い上げ)、早朝収穫しその日(ほぼ午前中)のうちに、東京横浜辺りまでの500軒ほどのホテルレストランなどに届ける業務用専門・宅配専門の八百屋だ。

到着して早速、社長室でレクチャーというかオリエンテーション。
社長の原さんとも会うのは久しぶりだ。
原さんは7年ほど前、家業の小売の八百屋に見切りをつけて、業務用専門の朝採り野菜を宅配する八百屋、という画期的コンセプトで今日の八百辰を作り上げた。
初めて会ったのは、たぶん6~7年ほど前になるのだろう。崎陽軒の曽兆明さんのところでだった。業務用を始めて、軌道に乗りかけていた頃であろうか。原さんは新しく作り始めたと言う、イタリア野菜のカーボロネロ(黒キャベツ)をぶら下げて営業に来ていたのだった。

今回は、横浜反町で焼とり・鶏料理の名店として知られる纜(ともづな)の島村さん、横浜・吉野町の牛タン料理・金べ衛(きんべえ)など2軒の飲食店を営むK'sグリルの山口さん、そしてケチャップの効能と魅力をこよなく愛する栄養学の専門家で料理研究家でもあり、市民団体Uzumakiと市民共同農園Uzumakiファームの中までもあるチャップリンおばさんの3人が一緒だ。
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八百辰は、業務用野菜の専門企業として、市場で競合の少ない「差別化商品」(ああ、市場経済のコトバを久しぶりに使ったな(^^ゞ)を重視している。聖護院大根や万願寺唐辛子など京野菜や、ズッキーニやカーボロネロ、トレヴィスなどのイタリア野菜などを市場に導入し、(結果として)広めてきた。人気の出なかったものももちろん少なくないが、人気が出て他の産地でも作り始めると価格競争に陥る。そのため常に新しい、できれば他では作れないような商品に取り組んでいる。
また、栽培においても、「農家が自家用にするのと同じ栽培法で栽培する」ことで、収量は減っても安心・安全で美味しい露地栽培を行っている。

今日の不用意に市場化されてしまった農業が、市場社会の価格圧力や陳腐化圧力に堪えて生存して行くために、それは必要なのだ、と原さんは、昔変わらぬ熱弁をふるった。
ここにはまぎれもない市場社会の核心であるところの「商品」(交換価値)になるための、もの(使用価値)たちの「命がけの飛躍(賭け事)」がある。

     ※     ※     ※

レクチャーを終えて外へ出ると、まずは、水にこだわる嘉山さんの「生でも食べられる」椎茸の本日の収穫が到着しているというので、もちろん試食(^^ゞ
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石油ストーブに椎茸をのせ、いしつきの部分も細く裂いてのせる。
待つこと数分、椎茸のかさの内側に水分がびっしり出てくる。
写真ではうまく映せなかったが、実際には水分がたくさん出ている。
この水分は旨み成分のグアニル酸やグルタミン酸だ♪
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塩だけを振って、食べる。
口中に、どっと旨みが広がる。
噛めばさっと切れるが、しこしこと弾力もあって噛み応えもある。
素直できれいな味がする。
噛むほどに素直できれな旨みが広がる。

水の味、だな。
嘉山さんが苦労して掘り出した井戸の甘い水が旨みとなって広がっているのだ。
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みんな、思わず笑顔になる。
ぜ〜〜〜んぶ食べつくすまで笑顔が続いた(^^ゞ

     ※     ※     ※

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2010年10月19日

モナの丘・土地に根ざす生存共同体を求めて その1 休耕地を生存拠点へ〜初発の志

10月2日、よく晴れた暑い日にUzumakiファームの仲間たちとモナの丘を訪ねた。
料理の大家のチャップリンおばさん、モナの丘を愛し、その存在を教えてくれた塩野さん、ハーブをこよなく愛するいたくらちゃん、そして農の行方に一方ならぬ関心を抱く山本聡さんとわたしの5人だ。

初めて訪問するわたしは、モナの丘のHPで予習して、期待にちょっとわくわくしていた。
HPにはこんなきれいなイラストが描かれていた。
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ハーブ園だな。しかもツボを押さえたグラフィックワーク。
この綺麗さと、持続して行くための事業性は商業という回路をはずしたあと、どう接続しているのか。
モナの丘は、3.7ha(HPでは3.5ha)の農地を運用する農業生産法人相模原グリーンピアが営む「農業体験施設」である。
モナの丘だけでは1haほどの敷地になるだろうか。
グリーンツーリズムや野菜直販、食堂などで「第6次産業」化を典型的に図っているわけである。

施設内のレストランMONA SANSARを食べろぐなんかでのぞくと、インド料理主体で、毀誉褒貶様々で喧しい。こりゃおもしろいではないか。とても魅力的な要素がしかし原石のように混交している。
市場社会の外に自立的な生存共同体を、構築していく力の源、ではないか。

11時ごろ、正面へ到着。
なんだかひっそりしているような…??(まだ少し早いかも(^^ゞ)
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コスモスのむこうにヨーロッパの山荘みたいな建物。
オーニングテントには花・ハーブ・薬草…、また喫茶の文字が見える。
夏休みなんかにはここに出店が出るんだろうか。
(全体にもうちょっとはっきりした案内サインがあるとよいのにな〜)

建物に入ると、自家産野菜を中心にした販売コーナー。
市場に対して、まあ割安感のある苦心の価格で、バイオマス低農薬農法(と思う)で作られた野菜が売られている。写っていないが今年の流行野菜のバターナッツやバナナピーマンも売られている。
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生姜がとてもいいね〜♪とチャップリンおばさん。
つられてみんなが買ったのでこの状態に(笑)
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たまたま社長の桑田さん、「番頭」の市原さんが居合わせ、興味津々のUzumakiチームの不躾な質問にも、それは丁寧に、過分なほど丁寧に対応してくれ、そのそもの始まりや歴史や課題を率直にかたってくれた。
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モナの丘は、



     ※     ※     ※

農業生産物の価格は、このクニでは流通産業が主導して決められている。それは流通業の顧客であるところの消費者として立ち現れる市民の支持する価格でもある。生活コストの体系の中で、地代家賃の占める比率は異常に高く、食費の占める比率は低すぎるのではないか、とわたしは思う。
産業コストの中では人件費比率がとても高く、人件費を支払うために高コスト構造はあらゆる産業で避けられなかった。
そして人件費として支払われた給与のうち一番の支払い先は地代家賃である。住宅用土地家屋などの不動産所有こそがこのクニの富の原基であるというような、世界にも歴史にも他に類例を見ないこのクニの土地本位制経済とは一体何なのであろうか。
このいびつな構造は、おそらく地主階級の資本に官製産業資本主義を接木した、幼生期の明治資本主義に淵源を発するのではないか、とわたしは疑っている。

すなわち、日清・日露戦の戦費調達に窮した時の政友会(地主を基盤とした)と山県閥官僚内閣は、当然のように地租を倍ほどにも引き上げ、その代わり、のように地方に鉄道建設や河川改修や学校開設などの「公共」投資を進めた。そこには地主が産業資本家として参加して「名士」化し、周辺には新産業が立ち上がり始めたであろう。産業資本家の顔をした地主階級は、事業の利益のほかに地主としての「土地」への利益誘導・すなわち高値誘導をも図ったであろう。
言い換えれば、日本資本主義は土地が生み出す利益を(地代家賃+含み益、ね)担保として成立し発展し始めた、であろう。
そこには、命がけの飛躍も、自由精神もない。
何をかいわんや…。

そして東京に貧民街を形成した地方出身労働者のための優良な住宅の確保について、検討されたような痕跡は、ない。(1902年(明治35年)救貧法案が提出されるが、「政府委員井上友一は反対して、義務救助にすれば惰民を生み貧民を増やし国費の乱用となる,恤救規則で救済できないものは隣保相扶,私人の慈善事業で救貧すればよいとし」て拒絶、法案はもちろん成立しなかった。(匿名の社会福祉思想サイト「がんばれ福祉国家」の「日本戦前社会保障略史」)このクニに公共住宅という思考が生まれるのは1907年頃の大阪市営住宅が初めのようである。


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