2012年06月30日

2012年6月23日のuzumakiファーム その3きゅうり・ズッキーニの初収穫♪、ブレイク、神津さんのなでしこ・ペンステモン・ジュズサンゴ〜高潔なるもの、野菜作り教室のこどもピーマン、知・情・意−理性−非知−高貴なる生の聖なる廃屋−倫理

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きゅうりとズッキーニの手入れをしながら、とった初収穫♪
きゅうりは間引きし損ねて2本植えになっていたものも整理した(^^ゞ
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ナス科のものたちの手入れの後は、ちょっとブレイク(^^ゞ
わたしは持参のおにぎりを、神津さんはパンをパクついた。
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休憩の後は二手に分かれて、神津さんは花壇の手入れ。伸びた雑草をとりにかかる。
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さらに、持参のなでしこ、ペンステモン、ジュズサンゴを植えた。
花卉に疎いわたしにはなでしこしかわからない(^^ゞ
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これらの花々は、神津さんがすべて自分の負担で持ち込んでくれる。
わたしが負担するといっても、ハイハイとは、いいながらけして取り合わない。

明日葉とそばの種も持参されたが、あいにく播くスペースがない。
ジャガイモを早く始末すればいいんだけど(ーー;)
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深く信仰に帰依し、しかも従属しない、というように見える神津さんには、心中に何事かを貫く決断、のようなものがあるかもしれない。
決断は常に高潔である。
自己というような自意識に振り回されながら生きる人間には、他者や共同とけして背馳してはならぬ、というような暗黙の自−他の掟がある。決断とはそのような掟を自らの掟として作り直すことである。
このとき自己は自己を現しながら、そのときそのことによって、自己を解体し放棄する。
高潔とは、そのような自己解体と放棄のことだ、とわたしは思う。

一方わたしは、畑の奥のほうのサトイモやらにんじんやら、かぼちゃやらの修復をした。
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最後に、17日の野菜作り教室で植えたプランターのこどもピーマンを建て直し、支柱を添えてやった。
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なんだかほっとした気持ちとまだまだ足りない気持ちを綯い交ぜにして、畑を見た。
自然に手を加えて生きる人間(たち)の押さえ切れない何かについて、思いながら畑を後にした。

※    ※    ※

人も、野菜もたった一人では生きられぬ、のだな。
情に棹差せばながされる、知に働けば角が立つ、と漱石は書いた。
近代は知を持って成立し、情をなだめなだめしつつその方法〜意を探究して今日まで来た。
抑えても抑えきれない情というようなものを、あるいは自己意識というようなものを乗り越えるもの、をヘーゲルは理性と呼んだかもしれない。
吉本隆明は、愚禿と自らを呼んだ親鸞を、往路から帰ることを知っている知の復路〜非知と呼んだであろうか。
高潔とは、あるいは、最終的には自身と対峙し自身を押し殺しながら、しかし死なないでいる高貴なる生の聖なる廃屋のようなものであろうか。
または、そのような廃屋を指して倫理と呼んでみたくもなるであろうか。

     ※     ※     ※

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posted by foody at 05:36| 神奈川 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | Uzumakiファーム2012 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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