2011年12月31日

12月30日のUzumakiファーム 有終その1輪切りの風景の中の富士のゆかしさ

110627ロゴ.jpg

大晦日、一日手前の昨日30日、最後の始末をしに宮前。東有馬の畑へ行った。
元住吉で神津さんをピックアップして、中原街道から山上の道、かつての横大道を辿る。
稲荷坂にかかる1kmほども手前で、この道筋でただ一ヶ所、富士山の見える場所あって、よくそこで富士を見た。たぶんこの道を早朝に通うのはこれで最後になるかと思い、これまで撮らなかった写真を敢えて撮った。
しかし、この富士には観賞上難点がある。
P1310942.JPG

ちょうど山体にかかるあたりを電線が幾本も横切って、富士をというより風景そのものを鮮やかにしかも完全に水平に輪切りにしているように見える。
それは、美しい古代的日本的自然性を文字通り輪切りにしてしまった、日本的近代的市場システムのおぞましさのようであるかもしれない。
あるいは、近代によって切り刻まれた古層の日本的自然性がしかし、切り刻まれて解体したわけではなく、基層には厳然と残存している、というようなことであるかも知れない。

古代において、富士の美は、「地域」ごとに数多ある聖性へ到るもののひとつに過ぎなかったであろう。
富士を絶対化し、日本一とか美と見るのは、「絶対」へ到ろうとする近代市民社会のなせる業ではなかったか。
たしかに富士の近くで、たとえば富士吉田あたりから見上げる富士は文字通り威容であって、とても手の届かない聖性を鳴り響かせている。

このあたりから見る富士は、丹沢山塊に隠れ、丹沢の山の上にちょこんと顔を覗かせている。その姿は美しく、想像を掻き立てるが、とどろくような絶対者の威厳でもなく、人の心を浮き立たせる快楽でも、ない、ように思われる。

もう少しアップで、もう一枚。
P1310943.JPG
日常の中に富士を囲いとって、時に、まだ見ぬなにものかに憧憬を馳せる、というようなおくゆかしい風景だ、と思う。
古来このあたりで富士を見ながら、連綿と暮らしを営んできた人々の、その暮らしぶりにもそのようなゆかしさあったかと思ってみてわれに帰った。

写真を撮ってしまうと、畑の最後の始末へ、と急いだ。


    ※     ※     ※

プロジェクトユリイカ
■PROJECT eureka HPはこちら
■以前のブログはこちら

Uzumakiファーム
■Uzumaki HPはこちら
■UzumakiファームHPはこちら





posted by foody at 11:27| 神奈川 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | Uzumakiファーム2011@宮前~無農薬有機農法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。