2011年12月10日

12月4日のUzumakiファーム その1 山上の道(横大道)の切れぎれの「風景」

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野川の山上の道を畑へ向かった。
道が稲荷坂の急勾配に差し掛かる500mほども手前に岐れ道がある。
右方向は西へ向かい野川から馬絹、鷺沼へ向かう道。横大路といわれ、古くから中原街道と大山街道を結ぶ形で伸びている。
左は稲荷坂を下って南へすすみ、有馬や、山田へ向かう道だ。

背景には広大な畑と少しの民家と、森。
この辺の畑は、建て込んできた住宅と折り合いをつけるように、大抵生垣で囲われている。
もちろん住宅が出来るまでは、そんなものは不要であっただろう。
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角に石碑と祠がある。
石碑は道しるべででもあったのかも知れないが、いまは文字を読み取ることができない。

小さな仏像は観音像のようにも思えるが、これも定かではない。
建屋はもちろん古いわけでなく、コンクリートで作られている。
横に、現代的に川崎市の「生産緑地」看板が立っているのもいかにも風情が無い。
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背景にあるこの生垣で囲まれた畑の土はことに赤い。このあたりの畑では、関東ローム層の上に降り積んだ黒ボク土で覆われて黒いのが普通だが、どうしたものか良くわからない。

黒ボク土は火山灰と、数千年にわたる腐植とから出来ている黒土だ。
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このあたりに、わずかに残された自然も、昔の風景もなんだか傷ついているように見える。

「都市」が膨張して、かつて農村であったこのあたりを横殴りにして「田園都市」や「団地」に仕立てて、土をアスファルトやコンクリートで覆った上に、窮屈な箱のような住宅を作った。「市場社会」によって、貨幣なくしては生きられなくなった人々が「共同体」から離脱し、都会の「市場」に幻の「夢」や「希望」を見ていやおうも無く、この地にも住み着いた、であろうか。

団地の中のよく整備された自然は、箱庭みたいに囲われ、人工の美を施されてしまっている。
都市の切れ目にわずかに露出している自然も昔の風情も、時代の風圧に晒され切れ切れの残骸のようになって、怨嗟の声を上げている、のであろうか。


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