2011年01月30日

宮前クリーン農業研究会織茂さんの畑へ5 工業化社会=市場化社会の残留毒素の危機~ 強い死なない人へ

見学終了後、母屋玄関脇の茶の間に上がりこんでしばし農業&EM談義。

野菜類は直売でほぼ9割方を売ると言う。地域の購買者に支持されているのだ。
しかし、兼業ですよ、と言う。
兼業からの収入と、農業からの収入はほぼ同額程度。兼業無しに、この地の1haの自然農法は成り立たない。
何たることか。

はじめてから18年。現在ではEM自然農法も安定してきている。しかし、途中には「危機」もあったという。
はじめて2〜3年目は順調だったが、そのあと試練がやってきた。
病気にかかる作物が出て、病害虫も多かった。
P1220988.JPG
それはたやすいものではなく、だんだんひどくなり5年目にピークを迎えた。

ただでさえ辛い時期に、同時に、織茂さん自身にも身体的な障害が発生した。
症状は多岐にわたり、農作業にも支障が出た。これという決まった症状ではないが、免疫力が衰え、いろんな症状が出たと言う。
多くの病院をたずねたが原因ははっきり分からず、したがって病名もはっきりしない。したがって治療法はなく快癒するべくもない。(近代医学というものは、対症療法に進歩を遂げたが、基底的なもの、根底的なものについては蒙昧なものである)

思い悩み苦しんだ末、このままでは死んでしまうのではないかとまで危機感を持った織茂さんは、自律神経免疫療法と言う、新潟大学の安保徹が提唱した療法で、自律神経系の回復を試み、快癒したのだと言う。
自律神経免疫療法は、基礎研究から導かれた仮説理論である。医学界においては、臨床的実証を経ていないとして、民間療法と言われ蔑まれているといっていい療法である。しかし、織茂さんは、快癒した。

畑も5年目をピークに回復し始め、10年目からは安定しているという。
今では、30mもある畝にバケツ一杯ほどのEM肥料で作物が元気に育つようになったと言う。

きっと、EMで自然農法に帰ろうとしたから、逆に残留毒素が一気に出てくるんだね、などと一応分かった風な理屈をとってつけてみんな黙ってしまった。

さりげない話しの、中身の深刻さに、それ以上の質問をすることはなんだか憚られた。
が、1960年代からはじまった、アメリカ主導の「農」の効率化、「工業化」政策のつけは重い、のだと思われてならなかった。

ベトナムにおけるダイオキシン入り枯葉剤は300万人の身体異常を引き起こした。当事者世代はむろん、その子ども世代にはもっと深刻な身体欠損や結合などの発生障害をもたらした。
枯葉剤は農薬・種苗メーカーの米モンサント社が作った。
基本的に農業に使われる除草剤と変わらない。
日本における1960〜70年代の、アメリカ主導による安保と引き換えの食糧自給停止と農の「農業化=工業化」は、大量の化学農薬・化学肥料の使用が増産につながるとして「科学的」な農業を強いた。農村に封建的権威の崩壊と同時に、多数の拝金主義と発がん物質・催奇性物質をばら撒いた。農家にはたくさんの病変者や死者が出た。
その結果、今日まで残留し、あるいはますます堆積する有害物質が、増加する「成人病」や「難病」の相当部分を引き起こす要因に連なり、土地をやせさせ、野菜の栄養価を減少させている。
今日では、科学農法〜工業的農業はある程度の効率化には貢献しても、莫大なコストを要し、たいした増産にもつながらず、その安全性安定性は自然農法に及ばないのではないか、と思量される。
「戦争機械」であるところの「国家」の下請けと化した行政にも農政にもちろん「農」の視点のあろうはずはなかった。それは今も続いているといってよいのではないだろうか。

そんな事例は全世界に、普通にあるといっても過言ではなかろう。つまり、それが「現代」という時代である。

     ※     ※     ※

わたしも、機械化農業のモデル地域たる新潟・蒲原で猛毒殺虫剤・農薬パラチオンのヘリコプター散布の飛まつを浴びて育った。用水には魚が白い腹を見せて浮かんでいた。父は55歳くらいでがんを発病し60歳で死んだ。わたしも、そろそろがんになっておかしくはない。いや、なるに違いない、と思っている。

     ※     ※     ※

織茂さんに、Uzumakiファームの自然農法化に協力を頼み、料理教室や野菜市にも作物を提供してもらうことを約して、辞した。

母屋の軒先に、織茂さんの母上が「趣味でする」という日干しのブロッコリーが干してあった。
P1220980.JPG

わたしもこのブロッコリーのようにからだも心も日干しになって、余分なものを日に晒してしまうことができたら、と思ってみて、ふと自分の愚かさに笑った。
心もからだも、自分で扱わねばならぬ。
あたりまえではないか。

現代は「市場」と言う原理によって構築された「システム社会」であるように見える。事実は自然という土台に「幻想」を少しだけ上塗りしているのに過ぎないとしても…。
「幻想」でしかないシステムに「自主的」に拝跪して、「神」として崇めるものたち、とはわたしたち人間のこと、である。
「神」たる権威を前に一個の赤裸々な個人として裸にされながら生きねばならぬもの、人間。
動物でありながら精神をもつもの、自然のうちにありながら、自然から独立した主人であるかのように振舞うもの、人間。
生存のため協働して構築したはずののシステムによって、逆に自ら身体も精神も損壊される奇怪なもの、すなわち人間、である。
生存のために他の生命を縦横に踏みにじりながら、自分だけは踏みにじられることを拒絶するもの…。

市場社会=国民国家=戦争機械の時代は本質的には終焉したが、現在はなおその残滓が世界を実効的に支配しているように見える。あるいは終焉すべき理論的帰結は明らかだが、人間はそれを「終焉」させたくないと願う生き物でも、あるのかもしれない。

強い死なない人になるのだ、と思った頃を、おもった。




posted by foody at 19:53| 神奈川 ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | 農の現場レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
前山さんへ

体験して初めて知る、そしておぼろげながらも解ったような気分で、、、そこから一歩進む。そんな地道な生き方が出来る人になりたいと、、、
いつもお世話さまです。
ブログを拝見し、思慮深い「目線、農と食に対する思い」を感じております。
食育講座、かわさきそだち野菜料理教室で使わせて頂いた「織茂さんが育てたEM農法野菜」本物のかわさきそだち野菜でしたね。その味は、皆様にご満足いただけました。
織茂さんの清々しい眼、とつとつとした語り、澄んだ大空だったと思い起こしています。
Posted by チャップリンおばさん at 2011年01月31日 17:32
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。