2010年10月12日

チャップリンおばさんの「ハーブワインのはぎおこわ」 〜心もきれいになるような、普通とまったく違う爽やかな香りと味わいに目がテンになる

書かねばと思いつつ、日々の雑事に追われて書く機会がもてずにいたことどもを忘れないように録しておきたい。「忘れないこと」にたいした意味はないが、「忘れたくない」と願うことのうちに執着と放棄の間の「共出現」(ジャン=リュック・ナンシー)としての生の欲動と現前とのすべてが、あるかもしれない、とおもうから。

9月23日、チャップリンおばさんが、あり合わせのワインを使ったから、風味はあまりよくないかも…と言いながら、降りしきる雨をついてびしょぬれで、(たぶん)お彼岸の赤飯をもって来てくれた。
チャップリンおばさんのサイトレシピ集では秋の冒頭に「ハーブワインの萩おこわ」として掲載されている。
初めて目にした時からとても気になっていたものの一つだ。
(「ハーブワイン」にも「萩おこわ」にも目がテン、になったわたしではあった)
この色彩やかなおこわを、こんなに早く実際に目にし、食べることができるとは予想もしなかった。望外の喜び、である。

赤飯はおこわの一種で、したがってこれをおこわと呼んでも差し支えはない。
おこわは「強飯(こわめし・こわいい)」をさす女房言葉から始まっている。
基本的にはもち米100%で蒸して作るが、現代では多少のうるち米を加え炊飯器でもつくる。

彼岸には牡丹餅(ぼたんもち=春)、おはぎ(御萩餅=秋)を食べることも多いか。(夏は夜船、冬は北窓と異称するが、この四季ごとの区別のこだわりの奇怪さは日本的風土の奇怪さによく通じるような気がする)
新潟の実家では老母又は老祖母がかいもち(かひもち=古称)を作ってくれた。
今でもわたしにとっては、御萩とか牡丹餅とかいう都会的なものではなくかいもち、が懐かしい。

赤飯またはおこわも、慶事にも節句にもよく食べた記憶がある。

さてチャップリンおばさんの正式には「ハーブワインの萩おこわ」である。
微妙に沈んだ色合い。赤ワインのタンニンの色であろうか。
P1180966.JPG
枝豆のあざやかな萌黄色、が目に美しい。
下に敷いているのはウコンの大きな葉だ(こちらは萌葱色、だな)。

もちろん、我慢できずに一口つまみ食い。
瞬間、あれっ、である。
あー、普通と違う、まったく違う。ナンなんだこの爽やかさ。小豆の香りも、もち米のでんぷんの香りも影が薄い。えもいわれぬさわやかな香りがして、そのあとで豆やらもち米やらがどっしりと顔を出す。
ケチャップの効用であろうか、ワインの力であろうか、普通とまったく違う爽やかなおこわだ。

昼食には改めてたっぷりいただいた。
秋を意識してきのこの味噌汁、茄子と南瓜の揚げびたしを添えた。
P1180969.JPG
口中を爽やかな香りと味で満たしてゆくおこわを、噛み締め噛み締めおかわりもしてどんどん食べた。食べるほどに、何か頭の後ろのほうが澄んでゆき、きれいな心持ちになるような気がした。
レシピには小豆の茹で汁に赤ワイン、ケチャップ、さらにはローズヒップを加える、とある(@_@;)
それで「ハーブワインおこわ」か。チャップリンおばさんの場合、ケチャップは当然入っている。その使い方がまたひとかたならずなるほどな〜、なのであるが。

家にいたかわいいムスメその2も、遠慮なくバクバク食べた。
惜しくて、夜のために少しとり分けて避難させておいた(^_^)v

アップで。(ありゃ、手前の枝豆の上におこわ粒が二粒(>_<) はずして撮影すればよかった)
P1180970.JPG

レシピのページには「赤ワインの色が大好きで、萩の花をこよなく愛した母を偲んで」と綴ってある。
だから赤飯の色づけと香り漬けにワインを使い、小豆は赤い萩の花、枝豆の美しい萌黄は萩の葉にでも見立てたものであろうか…。(見立て料理のわざも入っているのか!)母を思うこころ、だな。赤ワインの色が好きな母、なんてハイカラだな。どんなお母様であったのだろうかな。

チャップリンおばさん、遅くなりましたが、お母様をしのぶおこわ、感動の味でした。
いつものおにぎりのような賑やかさではなく
整徐正しい、一筋の爽やかさが強く長く響き、心のきれいな人になりたい、
と思わせてくれるような、ほんとうの感動の味でした。

ありがとうございました。
ごちそう様でしたm(__)m

     ※     ※     ※

カタルシス、だな。
よい食(=美味しい食)は、何よりもまず心をきれいにしてくれる、とわたしは思う。
またはきれいな心の人になりたいと思わせてくれる、とも(もちろんシノニム=同義だが)。
京都美山荘の美しい若おかみの立ち居で共された吟醸味噌の朴葉焼も、
パリ・タイユヴァンの人を恍惚とさせるサーヴィスとともに共されたフォアグラも、
全盛期の高橋徳雄シェフ(昨年なくなったが、わたしは料理を愛する精神というもの、フランス料理の奥の深さと言うものをこの人に教わったような気がする。瞑目。)のアピシウスで、そのあまりの深さと強さと繊細さに心底驚愕した狩猟鴨の血のソースも、
みなこの世のものとも思えぬ豊饒な味わいと高貴な気品を持ち、わたしを陶酔させつつ覚醒させて、素直な、心のきれいな人になりたい、と思わせてくれた。

     ※     ※     ※

彼岸は、真西に沈む秋分(春分)の夕陽に、西方の極楽浄土への往生を夢見る仏教心が刺激されたであろうこのクニのはるかな過去の狂熱的な仏教者たちが、彼岸会(ひがんえ)と称して法要を営んだことに始まる。また仏心をもたぬ生活者たちは黄金のように輝く落日のかなた、すなわち彼岸にいるであろう今はなき祖先を偲ぶ日としてこれを受け止めた、であろうか。
あの、黄金色の輝く夕陽の向こうにはすべてを解消してまた生み出してゆく大宇宙(=大自然)があって、有機的身体たることをやめた時わたしは非有機的自然としてそこへ解消されてゆく、であろう。

  また、見つかった。
  何が?
  永遠、が――
  海と溶け合う太陽だ。
    ――A.ランボー

  仏家は花を見るときに
  無常を見ると言うならん
  人を誹らん知を堪へて
  そのとき花を観ずべし
    ――吉本隆明


posted by foody at 11:53| 神奈川 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | おいしいもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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