2013年02月28日

2013年2月24日の小机ファーム その1続く酷寒、小泉さん見学、ネギ掘り

110627ロゴ.jpg

この日も晴れて寒い。厳寒の2月はまだ続く。
9時少し前に到着。
P1400689.JPG

気温は2℃ほど。一段と寒い。最低気温は0℃ほどだっただろう。
P1400692.JPG

洗面器の水は完全に凍り付いている(@_@;)
P1400693.JPG

近くに住む小泉さんが見学にやってきた。
農体験はほぼない、という小泉さんにまずは葱の収穫をやってもらった。
うずたかく積んだ畝を剣先スコップで掘り崩して、掘り出しやすくする。
初めてのことなのでどれほど掘ればよいか、難しい。
(一回やってみれば、なーんだ、そういうことか、なんだけれどね)
P1400696.JPG

なるべく下のほうをもってね、ゆるゆると引っ張って抜いてね〜。
葱抜き、初体験だ〜。
P1400694.JPG

あちゃ〜、やっちゃった〜、の初葱、である(^^ゞ
P1400695.JPG
太い一本葱は真ん中で千切れてしまった。
小泉さんの葱抜き初体験は、ちょっとほろにがデビューとは、なったけれど、これでも美味しさは変わらない。
食べてしまえば一緒だもの〜(^^ゞ

慣れない手つきだった小泉さんも、掘り終えるころには、さっさと手を動かす。
小泉さん、初収穫のねぎたち。
P1400697.JPG

     ※     ※     ※

経験というもの、の有用性の大切さは、昔も今も、どこでも変わらない。
近代では、経験値に富む先進地イギリスの経験論が、「永遠」や「絶対」を示唆しつつ未来に相渉ることを期する「後進」の大陸諸国(といってもほぼドイツだけれども)合理論とせめぎあってきた。
無論、経験的世界では経験的な有用性が価値であり、それはそのようではあるがそれだけでは、意識の世界で、美や文学や倫理や認識やの指し示す、無限や永遠や最高といった感性や理性やの可能性を序すことができない。いわばそれは人間と社会の半面であるに過ぎない。
無論、経験的有用性と意識の広がりは、円環しなければならない。
若きヘーゲルは『精神現象学』において、自己意識(意識された意識=普遍性と一致しない自己)の自由=孤独から、観察し行動する主体的即自的理性、自身を対象化しようとする道徳的精神を経て絶対知(普遍と一致する自己=全的に知ること=良心)へ至る人間の精神のストーリー(範型)を細緻に描き出したけれども、しかし、そのように壮大に構築された精神も、実践的な経験の度に解体し再構成される、動的な体験である。
ヘーゲルはそれを、理性にできる行動は、ただ己を言表することだ、(そしてそれで十分だという意味合いで)と著した。

行うことは、意識を解体し再生する。そのようにして人間は身体性として、あると書いておこう。

    ※     ※     ※

プロジェクトユリイカ
■PROJECT eureka HPはこちら
■以前のブログはこちら

Uzumakiファーム
■Uzumaki HPはこちら
■UzumakiファームHPはこちら


×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。